高校2年の時、日曜日の心地よい昼下がりでした。
教会帰りで自転車を運転していると人が倒れていました。
60歳ぐらいの小柄な男性でした。
田んぼにうつぶせに倒れて居る様で、あきらからに尋常な様子でないことは
すぐに分かりました。
少し起こして見ると、頭を強く打っており、瞳孔は開き、脈もありません。
当然呼吸もしていません。
すぐ近くの家の前で助けを呼びましたが、誰の応答もありません。
そこで少し距離はあるものの、顔見知りのおばちゃんの居る家に向かい
救急車を頼みました。
私が現場に戻ると、人が2〜3人囲んでいました。
しかし、それでも誰も彼を起こそうとはしませんでした。
完全に脱力した人間というのは恐ろしく重いです。
私はウエイトニングで日々筋肉を鍛えていますし、
当時140KGぐらいのバーベールを持ち上げる筋力がありましたが、
それでも彼を一人で持ち上げることが出来ませんでした。
近くに居た、正義感の強そうな30代の男性に頼み、やっとのことで
田んぼから起して、仰向けにしました。
人工呼吸と心臓マッサージに取り掛かるためです。
私が人工呼吸をしようと彼の口を見ると彼はすでに多くの水を飲んでおり、
その口からは生活排水が出ていました。
とても人工呼吸できる状態ではなかったです。
「何か口を拭くものを貸してくださいませんか?」
と私が言うと近くに居た女性がハンカチを出して下さったのですが、
使い物にならなくなから、私に渡すのを躊躇しています。
花柄のレースのきれいなハンカチでした。
すでに10人ほどが現場を取り囲んで居るのですが、
使える人間は私と30代男性とおばちゃんの3人だけ。
私は当時、高校2年生。
現場で最年少だったにも関わらず、彼らに指示を
出さなければなりませんでした。
ハンカチの件はおばちゃんが大きな箱のティッシュを
持ってきてくださって何とか彼の口の泥を拭うことができました。
そして、人口呼吸です。
コップに水を入れてストローで息を吹きかけると「ブクブク」と
泡がでますが、まさにそんな感じです。
彼の肺には水がたくさん入っており、息を入れると、
肺がブクブク言いました。そして、ときおり水が出てきます。
食器洗い洗剤や泥などの生活排水です。
私は嘔吐をこらえながらそのまま
人工呼吸を続けました。
ここからがつらかった。
私の息が持ちませんでした。
あとから知ったことですが
人工呼吸は一人でするものではなく、入れ代わりしないと
体力的に持たないものらしいのですが、それを知らないのと
現場に協力者がほとんどいないこともあり人工呼吸をするのは
私しかしませんでした。
私には余裕がなかったです。
精神的にも、体力的にも。
30代の男性が心臓マッサージをしていましたが、
(私は教会などで講習を受けていたので)明らかに
押さえる深さが浅いと思いました。
ああいう場合、肋骨が折れても良いから
もっと深く押さえるべきだと知っていました。
しかし、それを伝える余裕は私にはありませんでした。
おそらく10分ぐらいたったでしょうか?
へとへとになったころで、やっと救急車が来ました。
救急車が止まった止まったときに
私と30代の男性は応急処置をやめました。
応急処置適切でないかも知れないことを
救急隊の人に知られたくない気持ちからでした。
(※アメリカでは応急処置が不適切な場合に訴訟になることもある。)
救急隊員は救急車に男性を運び込み
救急車の中で私たちと同じように
心臓マッサージと人工呼吸をしていました。
やはり心臓マッサージは30代男性が実施したものよりも
かなり深くやっている様子が目に入ってきました。
そして、救急車は彼を乗せ走り去っていきました。
///////////////
あくる日、新聞でその男性は助からなかったことを知りました。
新聞では病院で死亡と書かれていました。
数日して、我が家に喪服を着た女性二人が尋ねてきました。
「第一発見者の方ですね、発見してくださりありがとうございました」
と言い、果物の詰め合わせを私に渡たしました。
私は受け取ることができなかったですが、
押し切られ、結局頂くことになりました。
私には人工呼吸をしたことや心臓マッサージが不完全であったことを
彼女たちに伝える勇気がありませんでした。
ただ、「非常に残念でした。」としか言えませんでした。
///////////////////////////
あの経験は今でも時々悔やまれます。
あの時もっと勇気を出して、
心臓マッサージを指導していれば、と思うと残念でなりません。
やるかやらないか、その場で選択しているようでは
現場ではもう遅い。
「やる!」とこころにすでに決意していた人だけが迅速に動ける。
あのときの経験は私にいつでも「決意」した状態で「常」にいることの
大切さを教えました。
もちろん私も人間ですから、いつも迅速にすべての人に親切に
出来るわけではありませんが、それ以来、奉仕するときには
スプリンターの才能を生かして迅速に行うようにしています。
今日、世の中に良い人が減ったと良く言われます。
しかし、この日本にはまだまだ、多くの良い人がたくさんいることを私は
知っています。ただ、それらが行いに現れないのは
単に「シャイ」であるから。ただ、それだけなのです。
たとえば皆さんが電車の切符の買い方が分からない人を
発見したら、「躊躇なく速やかに」教えてあげて欲しいのです。
ハンディキャップを抱えている人を見かけたら
「躊躇なく速やかに」席を譲ってあげて欲しい。
ジムで器具の使い方が分からない人を見かけたら
「躊躇なく速やかに」使い方を教えてあげてそれを機会に
仲良くなってはどうでしょうか?
///////////////////////////
奉仕の機会は
宝探しと同じです。
速く発見し、迅速に行動したたものがその機会に預かり、
ここの中に温かい
宝を感じます。
そして、その
宝はお金と違ってなくなることは
ありません。
そう考えると新約聖書の次の聖句は非常に面白い聖句です、
マタイによる福音書
06:19 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、
宝をたくわえてはならない。
06:20 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、
宝をたくわえなさい。
私は人生を楽しんでいます。
こう見えるのは私の「心のメガネ」から見える世界は普通の人とは
違うからかもしれません。
困っている人を見かけたら、
宝探しが始まる!
こう考えると、福男選びのように
困った人の元にダッシュする人が増えるかもしれませんね(笑)
そういう意味では人生は毎日が福男選びになりうるのです。
幸福に向かってダッシュするのですから。
P.S.面白い聖句をもう一つ。
かわいい子だったら親切にできるよ(笑)という人に対して
イエス・キリストは次のように述べています。
マタイによる福音書
05:45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
05:46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
05:47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
05:48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
//////////////////////////////
この文章を書くことによって
毎日1000〜2000以上アクセスがあるこのブログで
吉田光一郎の武勇伝を広めるつもりは毛頭ありません。
ただ、この文章を読まれた人のすべてが心に決意してくださることを
願ってこの経験をを書きました。
私が人工呼吸をしようと彼の口を見ると彼はすでに多くの水を飲んでおり、
その口からは生活排水が出ていました。
とても人工呼吸できる状態ではなかったです。
「何か口を拭くものを貸してくださいませんか?」
と私が言うと近くに居た女性がハンカチを出して下さったのですが、
使い物にならなくなから、私に渡すのを躊躇しています。
花柄のレースのきれいなハンカチでした。
すでに10人ほどが現場を取り囲んで居るのですが、
使える人間は私と30代男性とおばちゃんの3人だけ。
私は当時、高校2年生。
現場で最年少だったにも関わらず、彼らに指示を
出さなければなりませんでした。
ハンカチの件はおばちゃんが大きな箱のティッシュを
持ってきてくださって何とか彼の口の泥を拭うことができました。
そして、人口呼吸です。
コップに水を入れてストローで息を吹きかけると「ブクブク」と
泡がでますが、まさにそんな感じです。
彼の肺には水がたくさん入っており、息を入れると、
肺がブクブク言いました。そして、ときおり水が出てきます。
食器洗い洗剤や泥などの生活排水です。
私は嘔吐をこらえながらそのまま
人工呼吸を続けました。
ここからがつらかった。
私の息が持ちませんでした。
あとから知ったことですが
人工呼吸は一人でするものではなく、入れ代わりしないと
体力的に持たないものらしいのですが、それを知らないのと
現場に協力者がほとんどいないこともあり人工呼吸をするのは
私しかしませんでした。
私には余裕がなかったです。
精神的にも、体力的にも。
30代の男性が心臓マッサージをしていましたが、
(私は教会などで講習を受けていたので)明らかに
押さえる深さが浅いと思いました。
ああいう場合、肋骨が折れても良いから
もっと深く押さえるべきだと知っていました。
しかし、それを伝える余裕は私にはありませんでした。
おそらく10分ぐらいたったでしょうか?
へとへとになったころで、やっと救急車が来ました。
救急車が止まった止まったときに
私と30代の男性は応急処置をやめました。
応急処置適切でないかも知れないことを
救急隊の人に知られたくない気持ちからでした。
(※アメリカでは応急処置が不適切な場合に訴訟になることもある。)
救急隊員は救急車に男性を運び込み
救急車の中で私たちと同じように
心臓マッサージと人工呼吸をしていました。
やはり心臓マッサージは30代男性が実施したものよりも
かなり深くやっている様子が目に入ってきました。
そして、救急車は彼を乗せ走り去っていきました。
///////////////
あくる日、新聞でその男性は助からなかったことを知りました。
新聞では病院で死亡と書かれていました。
数日して、我が家に喪服を着た女性二人が尋ねてきました。
「第一発見者の方ですね、発見してくださりありがとうございました」
と言い、果物の詰め合わせを私に渡たしました。
私は受け取ることができなかったですが、
押し切られ、結局頂くことになりました。
私には人工呼吸をしたことや心臓マッサージが不完全であったことを
彼女たちに伝える勇気がありませんでした。
ただ、「非常に残念でした。」としか言えませんでした。
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あの経験は今でも時々悔やまれます。
あの時もっと勇気を出して、
心臓マッサージを指導していれば、と思うと残念でなりません。
やるかやらないか、その場で選択しているようでは
現場ではもう遅い。
「やる!」とこころにすでに決意していた人だけが迅速に動ける。
あのときの経験は私にいつでも「決意」した状態で「常」にいることの
大切さを教えました。
もちろん私も人間ですから、いつも迅速にすべての人に親切に
出来るわけではありませんが、それ以来、奉仕するときには
スプリンターの才能を生かして迅速に行うようにしています。
今日、世の中に良い人が減ったと良く言われます。
しかし、この日本にはまだまだ、多くの良い人がたくさんいることを私は
知っています。ただ、それらが行いに現れないのは
単に「シャイ」であるから。ただ、それだけなのです。
たとえば皆さんが電車の切符の買い方が分からない人を
発見したら、「躊躇なく速やかに」教えてあげて欲しいのです。
ハンディキャップを抱えている人を見かけたら
「躊躇なく速やかに」席を譲ってあげて欲しい。
ジムで器具の使い方が分からない人を見かけたら
「躊躇なく速やかに」使い方を教えてあげてそれを機会に
仲良くなってはどうでしょうか?
///////////////////////////
奉仕の機会は
宝探しと同じです。
速く発見し、迅速に行動したたものがその機会に預かり、
ここの中に温かい
宝を感じます。
そして、その
宝はお金と違ってなくなることは
ありません。
そう考えると新約聖書の次の聖句は非常に面白い聖句です、
マタイによる福音書
06:19 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、
宝をたくわえてはならない。
06:20 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、
宝をたくわえなさい。
私は人生を楽しんでいます。
こう見えるのは私の「心のメガネ」から見える世界は普通の人とは
違うからかもしれません。
困っている人を見かけたら、
宝探しが始まる!
こう考えると、福男選びのように
困った人の元にダッシュする人が増えるかもしれませんね(笑)
そういう意味では人生は毎日が福男選びになりうるのです。
幸福に向かってダッシュするのですから。
P.S.面白い聖句をもう一つ。
かわいい子だったら親切にできるよ(笑)という人に対して
イエス・キリストは次のように述べています。
マタイによる福音書
05:45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
05:46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
05:47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
05:48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
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この文章を書くことによって
毎日1000〜2000以上アクセスがあるこのブログで
吉田光一郎の武勇伝を広めるつもりは毛頭ありません。
ただ、この文章を読まれた人のすべてが心に決意してくださることを
願ってこの経験をを書きました。
彼ときたほかの中学生や、引率の大人と
ふれあって、、まだまだ良い人がいっぱい
いるんだなーと、思いました。
大人が愛情をもって育てれば、地球の
将来は、明るいです。