西尾正伸先輩

「光一郎!怪我をしたぐらいで、
何をシケた顔をしているんだ!

神様はお前が成長する為に
試練を与えたんだぞ。

だったら、お前はその試練にむしろ
感謝しなければならないんだ。

そういう風に聖書に書いてあるんだろ?
お前のほうが聖書のことは良く知ってると
思うんだが。お前はキリスト教徒なんだろ?」


by西尾正伸先輩
(大体大当時・槍投げ専門、
光一郎の2年先輩)


昨日、本屋でIRONMANを読んでいて
西尾さんが2012年全日本ベンチで300KG挙げて
2連覇されている記事をみて鳥肌がたった。
今でもパワーリフティングをやられているのが
無性に嬉しかった。

西尾さんには大学時代、トレーニングのアドバイスをもらったり
一緒に東海選手権に行ったりとお世話になったなぁ。


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(1998年1月頃撮影。全日本学生ボディビル選手権者の竹内鉄人先輩と西尾正伸先輩のツーショット。)
大体大のツインタワー。トレーニングルームではいつも異彩を放っていた。)




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写真引用
http://www.iga-younet.co.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=495

腕相撲と国体③

翌年、大阪の長居競技場近くにある
ステップ陸上本店で思わぬ再開を果たした私、村川くん、荒川くん

彼らの口から思わぬ言葉がでた

それは

「吉田さん、腕相撲しましょう!」
だった。
「えー?ここで?」と私が言うと、

「ここでやりましょうよ」
とレジ前の机にひじを置く彼ら

腕相撲と国体②

初めての国体で、課せられた目標が優勝

本当に精神的に参った。

そんな中でよい気分転換をしてくれたのが
当時高校だった選手たち。

腕相撲と国体①

大阪の国体で一緒のチームで戦った仲間で
今の陸上を現役やっている選手は朝原さん、
砲丸投げの村川くんと
幅跳びの荒川くん、寺野くん、400mの山村くん、
女子高跳びの青山さん、僕がぱっと思い出せる選手はそれくらいだろうか。

腕相撲

昔から腕相撲にはちょっと自信があって、
腕が細い割りに結構強かった。
いつもクラスでも1番を競い合っていた。

ときどき、教会のインスティテュートの授業が終わると
果敢にも私に挑戦してくる若者の挑戦を受けることが
たびたびあり、わたしの楽しみの一つになっている。

しかし、最近、町田のカンファレンスで大敗して
腕相撲からは遠ざかっている。理由は初動負荷トレーニングの
せいで、ファーストプル以外の力が弱くなっているから。
これは仕方ないと思いつつも、少し寂しい(笑)

朝原選手にバトンパスした日(動画)

大阪の地元国体。
優勝が命じられていた。。。。

当時の私のベストは10秒56で朝原さん10秒08でした。
はじめの3歩は朝原さんはそこまですごいダッシュではないのですが
4歩目からグぃーっといてしまう。ロケット付いていましたよ。
あまりの走力差にほんとに苦労しました。

あの国体は僕にってプレッシャーだったなぁ。
でも今では良い思い出です。
(動画)
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「法則を知らずして想像力は生まれない。」

大阪体育大に私は大きな希望を抱いて入学した。
学生間でどんなレベルの高い議論が展開されるのかと思っていた。

しかし現実は違った。
教授は最高だったが、学生のレベルは低かった。
競技レベルのことではない。知識のレベルのことだ。

朝原宣治選手vsこうちゃん動画

1997年大阪国体選考・決勝

吉田光一郎が始めて朝原選手と走ったときの動画です。

(動画あり)
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大阪国体選考97決勝

この大会の一番の見所は当時のアジア記録保持者である
朝原宣治選手が出場すること。

朝原さんは予選で軽~くながして10秒44(追い風参考)
一体本気で走ったらどれくらいのタイムで走るのだろうか?

決勝に向けて、朝原さんはテレビカメラに囲まれてアップをしている。

会場中の視線が朝原さんに集中していた。

スロー解説 10秒56

10秒56の動作をスローで解説。
このころ、こだわっていたのはあえてスタートを封印して
スピードのピークを後半に持っていくこと。

スタート型の選手である私はトップスピードが40~50mで出てしまう。
しかしその後は減速が待っているばかり。

後半にピークが来ることが必要だと当時、感じていた。
☆★☆
後半の為に、スタート時にひざの伸展パワーを出来る限り使わないで
パワーをセーブした走りを目指していた。

(動画あり)
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1997年10秒56の動画 大阪国体選考

1997年の大阪国体選考

予選

(動画あり)
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大学時代97年8月

そんな鬱憤を8月の国体選考で晴らす気持ちもあった。今なら自分のやり方を通しながらも、
もっとうまく付き合えたと思うが、当時はどこかとんがってたように思う。
反骨精神みたいなものからエネルギーを得ていたのかもしれない。

後に1年の秋くらいから私と先輩の仲はよくなり、私のスタイルは認められた。
部活に全くでなくとも吉田なら夜ライトを付けて練習しているという信頼があったほどだった。
(実際、アパートで寝ていた日もあったが(笑)

大学時代の思い出97年7月

7月に入り、我が大阪体育大学では、全天候のトラックの張替え工事が行われることになり、大学のグランドが使えなくなった。

張替えの期間、練習場所は熊取町民グランド。土のグランドである。

大体大生がこれを読んでいたら、なぜ体大のスタブロに穴があいてのか、
その理由を知ることが出来る。

これは伊藤先生が土のグランドでも使えるようにと自らドリルで穴を開けたのだ。

1997年7月 学連記録会200m

昨年までの自己ベストは10秒95(高3)⇒10秒64(大学1年6月時点)

0秒31秒のベスト更新というのは100mでは大きな数字だ。
100m走を10秒0で走るスプリンターの平均速度は

10m/秒

そこで、10m/秒×0.31=3、1m

高校時代の自分自身に3,1m差をつけることができる計算になる。
(動画あり)
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1997年6月29日大阪選手権100m決勝

決勝に進出した私。
既に準決勝で、目標タイムの10秒70を出してしまった。
★★★★★
昨年までのベストが10秒95

準決勝で一気に0.25秒更新してしまった。

目標とはしていたもののこんなに簡単にクリアできるとは
自分自身でも驚きだ。


もうここからは未知の領域。

庶民が一億円の価値がいったいどれくらいなのか想像が難しいのと同じ感じ。
私は舞い上がっていた。どれくらいのタイムが出るのか分からない。

まさに未知の領域に足を踏み入れた私。
どうなるのか?分からない。
しかし確実に感じるのは準決勝よりも、もっと速く走れるという感覚。
★★★★★
決勝のメンバーは
1レーン なし
2レーン 吉田哲也さん(西濃運輸)
3レーン 吉田光一郎 (大体大)
4レーン 青山さん(中京大)
5レーン 赤堀さん(三英社)
6レーン なし
7レーン 杉本選手(立命館大)
8レーン 国重さん(大体大卒 西濃運輸)
(動画あり)
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大阪選手権 準決勝 

大阪選手権の準決勝
同じ組には青山さん(中京大、94~97年東海インカレチャンプ)
鈴村さん(岐阜アスリート)、宇津木さん(大体大の先輩、関西インカレ3位)
がいる。レベルの高いメンバーだ。

この頃、同じ大学の先輩である橋本四郎さんのフォームから
腰を回転させることを私は学んだ。

どうしたらそれができるのか、ずっと考えていた。

そしたら、”ひょん”なことから、その動きが分かってしまった。

私の競技人生のターニングポイントにはいつも不思議なインスピレーションがある。
いつも私はインスピレーションに助けれらて来た。

これからもそうだろう。

今回は長居第一競技場のスロープでインスピレーションが降った。

スロープの下り坂を何気なく走っていたら、なんと腰の回転をマスターしてしまった。
「ああ!これだ!わかった!」

人生の転機になるインスピレーション、それをただ「ひらめき」と表現するには惜しい。

インスピレーションは本当に不思議。

それはまるで、天から啓示が降ったものと考えざるを得ない。
★★★★★
(動画あり)
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大学デビュー試合100m

1997年6月29日
大阪選手権100m予選

私の大学デビューの100m。


前日200mで自己ベストを更新。
21秒66は好記録だった。

しかし私は準決勝を棄権する。

大阪人の高浜美紀先輩に冗談で、
「なんでやねん!」
と突っ込まれるが、実は意図があったのだ。

それは翌日の100m。

ここで私は日本ジュニア選手権の参加標準タイムである10秒70を出すことを目標にしていた。

さらに日本ジュニアで2位に入るとアジアジュニアに出場できる。
海外に行けるのだ。

★★★★★
さて、100m予選
同じ組には杉本選手(立命館大)がいた。
関西の大学1年生ナンバー1の呼び声高い選手。
自己ベストは高校時代に出した10秒49(不正確な記憶)

(☆レースの動画☆)
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自己ベスト!10秒42

忘れもしない。あれは1998年10月4日
日本選手権準決勝 私が自己ベストを出した試合。

高画質再生はこちら

通常画質再生はこちら
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こうちゃんラジオ(1997年大阪選手権)

今回はスローで技術的なことを簡潔に解説します。

↓↓↓ラジオ再生(10分24秒)↓↓↓



スタート

★ブロッククリアランス★
私が当時実践していたのはトムテレツが提唱していた
スタートスタイル。前足が90度後ろ足が135度になり、45度の角度で飛び出すもの。

★5歩目までの加速★
すばやく刻むことを考えてしまうと、スタートは速いけども後半の加速に結びつかないスタートになってしまう。スタートの一歩目は
音楽でたとえれば、歌い始まりの一小節目。一小節歌えば、そこで拍とリズムが決まり、その曲のイメージが固まると思う。

同じように、全体の曲(スプリントでは100m走、200m走)
のイメージを決定するという意味ではスタートは重要。加速のリズムは一歩目の足を地面に置いた時にすでに決定している。

しかしながら、スタート自体は全体の構成の5パーセントでしかない。
失敗しても十分挽回は可能だ。


★カーブ走と加速★
トムテレツは200mの走り方について、
100m加速、100m持続を提唱している。私も同じ考え。
一気にトップスピードに持っていこうとあせってはいけないと考える。
なめらかな加速を心がける。

★直線★
ここはスタミナ勝負的なことがあるけど、疲れてきたときにこそ、
センターとキックする筋(大臀筋、ハムストリング)を意識して
正しいキックが出来るように意識を集中する。


大学デビュー試合

私の大学デビュー試合は
1997年6月28日の大阪選手権だった。
種目は200m

高校時代の自己ベストは
100m=10秒95
200m=22秒05


私は関西の名門大阪体育大学に入学することができた。

陸上部の新入部員は150人ぐらいだろうか。
関西一の名門大学である。

大学内にはベストタイム10秒66の先輩を筆頭に
10秒台のスプリンターがごろごろいた。

大学の構内に公式競技場があるという最高の環境の中、
3ヶ月のトレーニングを経て、出場した初試合。

会場の長居第一競技場は国内でもトップレベルの高速トラックである。
さて、試合結果は!!!




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